七夕の節句は日本で古くから伝わる宮中行事のひとつです。
日本には一年の中で重要とされる節句というものがあり、人日の節句(七草)、上巳の節句(桃の節句)、端午の節句、七夕の節句、重陽の節句という5つの節句から五節句と呼ばれています。
七夕は「たなばた」または「しちせき」とも読みます。
七夕の由来を紐解くと、いかに大切な神事であったかが伺えます。
棚機 (たなばた)
古くから伝わる日本の禊(みそぎ)行事の中でも神様を迎えて穢れを祓い、豊作を祈る神事は大切なものです。
この禊行事のために選ばれた乙女は水辺にある機屋にこもって着物を織ります。
この着物を織るために使われた道具が棚機(たなばた)と呼ばれる織り機です。
また、これを織る乙女は棚機女(たなばたつめ)と呼ばれていました。
疫病などが流行る夏、そしてこれから来る秋の豊作を祈ることに加えて、仏教が伝来するとともにお盆を迎える準備として7月7日に執り行われました。
現在は七夕と書きますがこの棚機の読みを当てた字といわれています。
乞巧奠 (きこうでん)
中国には機織りや裁縫が上達するようにお祈りをする風習がありました。
この風習を乞巧奠といい、7月7日に家庭の祭壇に裁縫の針を供えて織女星(しょくじょせい)という星に祈りを捧げるというものでした。
織女星は、琴座のベガの中国での表記です。
宮中行事と天の川伝説
平安時代になると日本の棚機行事が毎年行われる中、同様に機織りを主題とした乞巧奠という風習が取り入れられました。
この棚機と乞巧奠が合わさって、穢れを祓い豊作を星に祈るというような宮中行事となったのです。
宮中の人々は桃や梨、茄子、瓜、大豆、干し鯛、アワビなどを供えて星をながめ、香を焚き、里芋の葉に溜まった夜露で墨を溶き、七枚の梶の葉に和歌を詠んだといいます。
この願い事がロマンチストな平安貴族の中で流行し、現在に伝わる織姫と彦星の天の川伝説を生みました。
宮中行事から庶民の行事へ
もともと宮中行事であった棚機(たなばた)は七夕と字を当て、江戸時代になると幕府より五節句として定められました。
五節句のひとつとなると七夕の節句は庶民の間にも広まり、野菜や果物を供えて星に願いました。
梶は古くから神聖な木とされていましたが、庶民の間では代わりに五色の短冊に願い事を書いて笹に吊るす行事へと変化していきました。
七夕飾り ~笹と短冊の由来~
中国では古くから五行説があり、これにちなんで緑、赤、黄、白、黒の五色の織り糸や吹き流しを吊るします。
これが日本に伝わり、もともと和歌を書いていた梶の葉を庶民の間では五色の短冊へと置き換えたといいます。
また、生命力にあふれた笹は、古くから不思議な力があるとされていたことから五色の短冊を笹へ吊るす風習が生まれました。
七夕神事のあと、笹に人々の穢れを持っていってもらうという意味を込めて短冊を吊るした笹を川や海に流す風習となったのです。
七夕の行事食
日本の行事には様々な行事食がつきものです。
七夕の節句の行事食はあまり知られていませんが、実はすごく身近な「そうめん」です。
そうめんは細いことから織物の糸にたとえて七夕の行事食となりましたが、祟りが起こらないように先祖を供養する食べ物としても知られています。
この「祟りを鎮める」というのも、もともとの「穢れを払い豊作を祈る」という意味合いと重なり、広まっていったのではないでしょうか。
また、この意味はお中元としても現在に受け継がれています。
ご家庭での七夕神事
さて、これまで七夕の由来や変遷についてご理解いただけたかと思いますが、疫病の退散、そして秋の収穫を前に豊作を祈るというように宮中でも大切な行事でした。
この七夕の節句はご家庭の神事にも取り入れられるものです。
みなさまのご家庭で言い換えれば、健康の祈願と金運上昇といったことになるかと思います。
具体的な作法としては定まってはいませんが、笹に短冊をつけて祈り、神棚にそうめんを供えましょう。
もちろん、神棚に参拝した後には家族でそうめんをいただいてください。
梨や茄子、瓜など夏の果物や野菜を供えるのもいいですね。