道場の神棚の由来

武道の道場を訪問すると、必ずと言っていいほど神棚が祀られています。

精神性を養うため、遥か昔から神棚に見守られ続けてきたのだろうというイメージがわきます。

しかし、武道場の神棚が当たり前となったのは、明治時代を迎えてからのことでした。

少し意外ですね。

では、江戸時代には神を祀っていなかったのかというと、そうでもありません。

ここでは、武道道場に安置される神棚についてその由来をみてみましょう。

武芸の神

武芸の神様日本神話において、武芸の神とされる「鹿島大明神」(武甕槌神・たけみかづち)と「香取大明神」(経津主大神・ふつぬしのおおかみ)の二柱の神名を書いた掛軸が床にかけられていました。

掛軸を納める床を、神床として祀っていたのです。

幕末期になると、尊皇攘夷の思想が高まったことから「天照皇大神官」(天照大御神)の神名が中央に加えられ、三柱を神床に祀るようになりました。

武道場の神棚の由来

道場の神棚

明治時代以降に、武道場に神棚が祀られるようになったのは、新政府が国家神道を推進したためです。

1936年ごろになると、文部省管轄下の学校は、道場への神棚設置を義務付けられました。

日章旗が掲げられ、武道の稽古時には神拝が行われました。

しかし、第二次世界大戦での敗戦を機に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から学校教育での武道禁止令が出され、道場の神棚も撤去されることになりました。

一部の国公立校や私立校では、今でも神棚が残っているところがあります。

武道道場でみられる神棚とは まとめ

当たり前の存在だと思っていた、武道道場の神棚ですが、歴史の流れとともにさまざまな変遷がありました。

終戦後の占領政策時には神棚の撤去が求められていたため、現在の道場の神棚は、政策が終了した後の時代に設置されたものなのかもしれません。